無職生活が6ヶ月経過して思った6つのこと

  • URLをコピーしました!
ぱんにゃ

いやー。無職だなー。

中の人

いやー。無職だねー。
今日もしっかり無職だ。

ぱんにゃ

なんか、あれだ。
いよいよだな。

中の人

なんか、あれ。
いよいよだね。

「もっと分かるように会話しろよ!!」

と、叫びたくなった今日この頃。みなさん、どうお過ごしでしょうか。

 

私はちょうど本日、無職6ヶ月を迎えました。(パチパチすな!)

こんなに長くなるとは思いませんでしたが、紆余曲折しながら、なんとか生きながらえています。

そんな私が今回ご紹介したい内容が、題名でもある【無職生活6ヶ月経過して思った6つのこと】

 

おそらく、そろそろ仕事をするであろう予定がありまして。

こうやって、ひたすら何もしない日々も終わりを迎えるのだと思うと、寂しいやら嬉しいやら。

そんな境遇や心境を、現時点の生の声を残しつつ、今後に繋げていきたいと。そんな風に思うわけです。

目次

働いている人はすごい

「働いている人はすごい」というのが、率直な気持ちです。

それは、正社員だろうが、契約社員だろうが、フリーターだろうが、アルバイトだろうが、社会の一部として、会社の一部として、何かに貢献している人は、それだけで「すごい」なと思うのです。

 

半年前、もはやマンネリ化し、こなすだけの仕事の日々では、そんな事を微塵も思いませんでした。

ダラダラと流れる時間、ダラダラとこなす仕事。

「仕事だりー」「つまんねー」「やる気でねー」「めんどくせー」どうのこうの。

加えて、部下と上司の間の挟まり、自分の思ったことも言えない。そんな世の中はポイズンです。

 

しかし、こうして無職生活を送り続けていると、仕事をしている人が輝いて見えます。

働いているご本人は、気持ちよく働いている人もいれば、自分と同じように不満を抱えていたり、マンネリ化している人もいるかもしれません。

だとしても、自分の与えられている役割を、その日一日真っ当するのだから、やはり頭が下がります。

 

アルバイトもしていないので、コンビニなどで働いている学生さんも、「学生さんなのに偉いな」なんて。

もはや「羨ましい」という方が正しいのかもしれません。

そんな中、ふと思いました。

 

仕事に優越はないな。

 

と。

なんとなく、お医者さんが偉かったり、社長さんが偉かったり、なんやら社会の役に立っている人を尊敬の眼差して見てしまうのですが、今の自分からしたら、働いている人はみんな同じです。

どんな心境や形であれ、自分のポジション・役割の中で仕事をして、給料を得て、生きているのだから。

それだけで十分なのではないかと思います。

 

そうは言っても、実際は出世や評価など、気が気ではないかもしれません。

しかし、働ける環境がある。一緒に働く仲間がいる。働いてお金がもらえる。

それが、ただただ羨まく思うのです。

仕事がしたいな

あんなに毎日行きたくなかった仕事も、全く行かなくなると、あら不思議。仕事がしたくなります。

もちろん、極力やりたいと思える仕事をしたいので、選びたいけども。

たとえ自分の好きな仕事や得意な仕事でなくても「仕事がある」ってだけで、それは一つ恵まれたことだと、今だからこそ思えます。

逆に自分の好きな仕事や、自分の性格に合った仕事をしているのだとしら、それはまさに「幸せ」なのではないでしょうか。

 

おそらく、人生の中で睡眠に続いて時間を費やすであろう。「仕事」

これを楽しめるのか、苦痛なのかでは、人生の幸福度に大きな違いをもたらすに決まってます。

 

仕事はしたい。

けど、自分がやりたいと思える仕事に限る。

 

「そんなわがまま通用しない」

そうでしょう。そうでしょう。

 

けど、人生の幸福度に占める割合が大きのが「仕事」なのだとしたら、これはもっとワガママに選んで良いのでは?選ぶべきなのでは??なんて思うのです。

本気で仕事がしたいなら、本気で人生を謳歌したいなら。

「仕事なんて、なんでもいい」「給与さえもらえれば、なんでもいい」なんて妥協せずに、自分が進んでやりたいと思える仕事を見つける努力は、必要不可欠なように感じます。

 

私の場合、次にやろうと思っているのは「軽配送業」です。

ただのイメージではありますが、一人で淡々とできそう。ということや、個人事業主として、売上や経費や税金といったものも学べると思いますし、学ばざるを得ないのではないかと感じたからです。

「確定申告」とか「青色申告」って聞いただけでめんどくささMAXですが、それでも「一人でできる」「外見も自由」「休みはいつでも自由」と考えれば、そのめんどくささよりも、「なるべく自由に生きたい」という想いの方が勝った。という感じでしょうか。

この選択が正しいかどうかは、物語を進めて行かないとわからないのですが、期待と不安の中、ぼちぼちやって行きます。

妻の気持ちが少し分かった気がする

退職してまもなく、日々やることもないので、「家事くらいはしよう」と。

今思えば、この時点で「家事くらいはしよう」って、そもそも考え方が間違っていることに気づかされます。

 

掃除機をかけ、洗濯物をたたみ、夕飯を作る。

それを「毎日」

これまでやり続けてきた妻は偉大だと思います。しかも「休日」もないのだから。

 

もちろん、自分自身も仕事をしてきたわけですが、「仕事」と「家事」どっちが大変か。

なんて、しばしば話題になることがありますが、私の結論としては、「どっちも頑張っている」で済ませたいです。

 

しかし、違いがあるとすれば、「家事は強制ではない」と言うこと。

ここに、家事をする難しさを感じました。

 

「仕事」は、ほぼ強制ですよね。

「しなければいけない」し、しないと誰かに迷惑がかかります。

働かなければ、お給料も出ません。

 

しかし、家事は強制ではありません。

迷惑がかかるのは、せいぜい家族くらいで、家をきれいにしても、美味しい料理を作っても、評価が上がるわけでも、給料がもらえる訳でもありません。

多少、家が汚くたって、なんの問題もないし。

夕飯が一日くらいなくたって、たまには修行だと思って、食べなくてもいい。死にはしません。

 

しかし、家族のために「自分を律して」やっているところに、妻ないし、主婦・主夫の皆さんの精神的な強さや、偉大さを感じると共に、めんどくささを身をもって痛感しているところです。

私はたかが半年ですが、妻はこれを10年以上続けてきて、しかも3人の子育てもしてきたと思うと、もはや今後妻に対しては「はい」か「イエス」しかいう言葉はありません。

これを書きながら、一瞬眉間にシワが寄りました。(なぜもっと早く家事を手伝わなかったのかと)

 

仕事は仕事で大変。

けど、家事は家事で、やっぱり大変。

 

どっちが偉い。どっちがすごい。

ではなくて、お互いの生活を想像してみて、尊重し合えるのがいいのですが…

多分、無職になっていなかったら、ここまでしっかりと感じられなかったと思います。

 

なので、「無職になりましょう!」とは言えませんが。

たまには、お互いの役割を変えてみることが出来たら、お互いのすごさや大変さが分かるのかもしれません。

そんな取り組みのある社会、ないし会社があったら良いのに。なんて思ってます。

やっぱり貯金しておいてよかった

「会社都合の退職」ということで、私の場合は1ヶ月目から失業保険が適用されました。

厳密には自己都合なのですが、なんやかんやしまして、「会社都合」という形で退職し、なんとか6ヶ月の間は、失業保険を頂きながら、貯金を切り崩しつつ生活できました。

 

突然ですが、アリとキリギリスのお話がありますよね。

夏の間にしっかり働いたアリと、遊んでいたキリギリス。

冬になり、準備をしていたアリは平和に過ごし、準備をしていなかったキリギリスは困ってしまう。 

 

ここでは「夏」「冬」で表されていますが。

今に置き換えると、「しっかり働けている時」が夏、無職期間が「冬」という風にも捉えられるのです。

 

「キリギリスはバカだなぁ。準備しておけばよかったのに」

なんて思いますが、実際自分がどうだったかといえば、貯金や資産運用をしていたものの、「冬(無職)」まで想定していませんでした。

少なくとも、一年前の自分は「自分が無職になる」なんて、一ミリたりとも思っていないどころか、「どうやって給料を増やそう」「貯蓄に当てよう」と考えていたに違いありません。

 

しかし、あっという間に失業保険の期間が終わり、今まさに「真冬」が近づきつつあります。

残念ながら、冬眠できないので、今ニュースを騒がせている熊のようになります。

 

夏の間に(仕事がある間)、冬(無職)を想定できていれば、むしろもっと必死に貯金や節約をしたのかもしれません。

事前に、本業とは別にアルバイトやスポットワークなどの経験があれば、今ほど困らなかったかもしれませんし、プランターで、野菜の一つでも育てる習慣があれば、多少なり出費も減らせられます。

 

しかし「仕事を失う」という経験がない限り、無職になることを想定するのは、やはり難しいのではないかと思います。

「無職になって良かった!」と、胸を張っては言えませんが、一つの経験。一つの戒めとして。

ありがたく、この期間を頂戴しているところでございます。

わがままに生きたい

「あなたの年齢、経歴、職歴ですと、50〜100社受けて、1社受かればいいと思います。なので、とにかく早く履歴書、経歴書を作成して、応募しまくってください」

「キャリアアドバイザー」なる人の、この言葉から始まった無職期間ですが。

 

「100社、面接に行く…」

今思えば、「お前は需要がないから諦めろ」って言われたような、そんな気がします。

昔、繁忙期に引っ越しをしようとして、サカイの見積もりを取ったら「100万です」って言われたのを思い出しました。

だったら最初から「無理です」って言ってくれ。って。そんな気分です。

 

そもそも、せっかくリスクを負って会社を辞めたのに、また同じような組織に戻るなんて、想像しただけで気分が悪くなります。

長い通勤。8時間労働。休めない。責任感。評価。売上利益。上司部下。ルール。身だしなみ。異動。転勤。出世。

ぱんにゃ

頭おかしくなるわ、ボケがぁぁぁぁぁ!!!!

中の人

わかるけど、ボケはやめて!!笑
せめてアホにして?
え?カス?え?

 

だったら、自分の興味がある分野でアルバイトをしたり、自分の時間を作りながら生きる方が幸せなのではないかと。

もちろん、何かを得れば、何かを失います。

自由を選択する分、社会的な恩恵や給料は、平均以下になってしまいます。

 

しかし、この先ずっと働くことを想定した時に、「この我慢を、今後何年も続けて行くのか?」と自問したら、とてもじゃないけど、やっていけないと思いました。

 

「どうせ、いつかは死ぬ」なんて、どこかの著名人や書籍などが、腐るほど訴えていますが、まさにそれです。

明日かもしれないし、来週、来月?一年後かもしれないし、はたまた100歳まで生きるかもしれない。

 

いずれにせよ、「自分の人生」なのに、なぜ我慢を繰り返し、誰かの言いなりになり、ストレスをため、顔を天狗の如く赤くして、言いたいことも言えず、やりたいこともやらず、命を燃やすことなく、すり減らし続けなければいけないのか。

 

まるで打ち上げた花火が、空で弾けることなく、上がって下がって行くような。

そんな人生なのだとしたら、それはなんのために打ち上げた花火なのだろう。

 

空高く飛ぶ必要はないと思いますし、きれいな花火である必要もないと思います。

けど、少なくとも上がったなら、上げさせてもらったなら、どうせなら弾けて散りたいところです。

誰に見られるわけでもなく、ひっそりと散るのも、それはそれでいい。

 

少なくとも、家族には「らしい花火だったね」と、言われるくらいの。

なるべく納得できる最後を迎えるため、いつ来るか分からないその時のために。

 

「わがままに生きたい」

 

と、思えたのは、この期間があったからこそだと思ってます。

無職はツライ。けど

「仕事がないからラッキー」と心から思えたのは、最初の1ヶ月くらいだったかもしれません。

その後は、一人になる度に「自分は一体、日々何をしているのだろう」と、一日に何回も思っていました。

 

何もしない日々、お皿洗いから始まり、料理をして、ブログを始め、移住を考え、引越しを考え、やっぱりやめて。

「自分はどうしたいか」「家族とこの先どう生きればいいのか」

仲の良い妻とも一時的に不穏になった時に「愛だけじゃ生きていけないな」なんて。思ったり思わなかったり。

 

友人には連絡先を伝えなかったため、最初は寂しさからチャットアプリなどを始めてしまい、性格が面倒くさがりなので、すぐに我に還りました。

2ヶ月目は、周囲の関わってきた人の一部の人に対する怒りや、今後の不安で眠れずに、良くない感情を抱くようになったりと。

短いようで、人並みに色々あった期間だなと思います。

 

現状、無職の方もいらっしゃると思いますし、ずっと無職の方もいるかもしれません。

けど、その方たちが、自分から進んで無職を選んだとは限りませんよね。

本当は「働きたい」と思っていても、不安やトラウマから決断できなかったりするのだと思います。

 

「アルバイトくらいすれば?」というのも、自分自身が無職になって思いましたが、なぜかそういう気分にもなれません。

自分自身が、かつて仕事がない方に「アルバイトだけでもしてみたら?」なんて言ったことがありますが、やはりなんでもそうですが、「当事者になってみないと分からない」という事なのだと思います。

 

けど、そんな無職期間で、気付かされたことがあります。それは

 

「当たり前」という幸せ。

 

仕事がないと、やっぱり悲しいし、不安です。

けど、それでも住める家がある。家族がいる。テレビがある。お風呂があって、お湯がでる。トイレでスッキリできる。

3食、食べれるどころか、お菓子も食べれて、ゲームもできて。ブログも書ける。

 

こうやって文字に起こしてみると、自分がいかに恵まれていて、どれだけその恩恵に、感謝していない事か。

我ながら恥かしくなります。

 

「ない」「足りない」「少ない」と、あれこれ探し回っているけども、十分揃っている。

それは、仕事に限った話ではないように思います。

 

仕事、お金、恋愛なども、そうかもしれません。

貪るように探し回っていたとしても、冷静に周囲を見渡せば、全部揃っているはずです。

 

少なくとも、この記事を見た人がいるならば、その人はパソコンやスマホを持っているはずです。

いつかのアメリカ映画のワンシーンじゃないけど、ハンバーガー片手に「食べ物がないから金くれ」とカツアゲをしてくる人がいました。

おそらく、自分が「ないない」と言っているのも、そのワンシーンと同じです。

 

確かに仕事がないのはツラい。

けど、本当に「ない」訳ではない。

 

むしろ「まだまだある」と言った方が正しいのかもしれません。

「ないない」と悲しむ前に、貪るように探す前に、目の前のあるものに対して「感謝」をする

その上で、自分なりの、より良い生活・充実・幸せを求めて、今後を生きていけたらな。

そんな半年の終わりです。

まとめ

綺麗事の嵐だったな。と、我ながら読んでみて思います。

自分よりも、はるかに厳しい環境下の人がいるにも関わらず、なんか被害者ヅラな自分が情けなくもなります。

 

だから、書いていて虚しくも恥ずかしくもありますが、自分自身の角度から見える意見として、ブログ記事として載せてみようと思いました。

 

繰り返すようですが、私にとって「無職はつらい」です。

しかし、前回の職場に戻るか、同じような仕事をするか、と言われたら、絶対に「NO」です。

 

「なんでもいい」とか、「どれも一緒」なんてことはないはずです。

自分の人生を生きるなら、自分で納得して、自分で決断するべきだと思えた、この半年間。

私は家族がいるので、妻に相談しながらですが、それでも自分の納得や決断を大切にすべきだと思います。

 

極端な話、その決断がお互いの納得にならないのだとしたら、それは別れも仕方ないのかもしれません。

もちろん今現在、家族を捨ててまで、自分にやりたいようにやろうは思いませんし、そんな大層な夢や目標もありません。

しかし、家族を優先するあまり、自分を犠牲にするのも違うなと。

 

そう考えていくと、「無職」であることは、さほど問題ではなく、本質的な問題は。

 

「自分の人生を生きていない」

 

ことなのだと思います。

 

もっとわがままに。自分らしく生きれる道があるのでは?

けど、その先に何が待ち構えているかは分かりません。

 

それでも、強制されて、やらされて、踊らされて、今の自分のように後々文句を言うくらいなら。

自分の人生を生きて、自分で責任をとる人生の方が納得ができるし、それを一つの「幸せ」と呼ぶのかもしれません。

 

ここまで書いても不安は払拭できませんが、多少なりでも道が見えたのなら、あとはもう、その道に身を委ねるしか無いのだろう。

美空ひばりさんの名曲が頭を流れたところで、この辺にしておきます。(最後に動画載せちゃいます)

 

それでは、また。

フォローしてくれたら、お友達になれるらしいよ!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次